吉野ヶ里遺跡の墓の謎を解く【永井俊哉ニューズレター】
2023年5月に、吉野ヶ里遺跡(佐賀県神埼市)の日吉神社跡地で、邪馬台国時代(約1800年前)の石棺墓が新たに発見された。
【吉野ヶ里遺跡石棺墓発掘エリア(日吉神社跡地)の位置。紫の破線で囲まれた国特別史跡の北部に位置する。Source: Pekachu. “佐賀県吉野ヶ里遺跡周辺の地図." Licensed under the Open Database License.】
6月に内部が調査されたが、酸性の土が墓の中に入り込んだため、埋葬されていたはずの人骨は溶けてなくなっていた。副葬品も、弥生土器の破片二つなどを除けば、何もなかった。それでも、墓坑が大きく、見晴らしのよい丘に単独で埋葬されていることから、有力者の墓とみられている。埋葬者の身分が高かったことは、石棺内部全体が、貴重な赤色顔料(硫化水銀)で朱に塗られていたことからもわかる。私が卑弥呼の墓と見なしている平原遺跡1号墓も、赤色顔料で朱に塗られていた。
この墓と平原遺跡1号墓との違いは、豪華な副葬品がないことと"X"のような死者を封じ込める意味があると見られる線刻が石蓋の表と裏に施されていることの二つである。私たちは、今でも、手紙を誰かに送る時に、第三者が勝手に開けないように、封書の口に“〆”あるいは“乄”と記す。江戸時代には、戸〆(とじめ)という出入り禁止の刑があった。門を貫(ぬき)で筋違いに釘打ちするというもので、文字通り“乄”なのである。ヨーロッパ人は、昔から、封書の口を締める時、“X”と記す。洋の東西を問わず、“X”の形をした記号は、封印のシンボルである。石蓋の表と裏にこの記号があるということは、中からも、外からも石蓋を開けるなというメッセージが込められていることになる。
以上からわかることは、被葬者は、生前の身分が高かったのにもかかわらず、敬意を以て葬られず、蘇りも望まれていなかったということだ。きっと、権力闘争に敗れ、非業の死を遂げたのだろう。昔の日本人は、こうした人物が怨霊となって祟ることを恐れたので、封じ込めの線刻を施したに違いない。こうした条件を満たす被葬者は誰か。最も可能性が高い候補は、卑弥呼の死後、邪馬台国を統治しようとした男王である。『魏志倭人伝』には「更立男王、國中不服、更相誅殺、當時殺千餘人」とある。その後この男王は登場しないので、統治に失敗して、殺された「千餘人」の一人になったと考えられる。
私は、卑弥呼を記紀でのアマテラスに比定している。天岩戸神話によると、弟のスサノヲが乱暴狼藉を働いた結果、アマテラスは天岩戸に隠れてしまった。その後、アマテラスは、天岩戸から再び姿を現すのだが、スサノヲは、罰として、髪を切られ、手足のつめを抜かれ、出雲に追放された。『魏志倭人伝』は、卑弥呼に補佐役の弟がいたと伝える。天岩戸神話は、247年3月24日に日食が起きて、権威を失った卑弥呼を弟が殺害して、自らが王になったが、248年9月5日に再び日食が起きた時に殺され、卑弥呼の生まれ変わりとして台与が女王となったという史実を反映していると思われる。
実際、日吉神社跡地の墓は、邪馬台国の都があったとされる平塚川添遺跡から見て、248年9月5日に日没する方向にある。他方で、同じ日の日出の方向には、アマテラスとスサノヲとの誓約によって誕生したとされる比売大神を祀る宇佐神社がある。比売大神は、しばしばアマテラスと同一視されるが、そもそも台与は卑弥呼の生まれ変わりと位置付けられていたので、同一視されるのも無理はない。宇佐神社は、神功皇后も祀っているが、これは、日本書紀が神功皇后と卑弥呼の年代を重ねた結果である。
吉野ケ里遺跡にあった日吉神社の社殿は、16世紀に日吉城内に造建されたものだが、それ以前から、城の名前となった日吉という地名はあった。日吉神社は、オオモノヌシを祀る山王信仰に基づいている。神猿(まさる)を神使とすることでも知られている。記紀は、支配者の神と被支配者の神を天津神と国津神と呼ぶ。オオモノヌシは、国津神の代表である。スサノヲは、もともとは天津神だったが、神逐(かんやらい)の結果、国津神側に追放されてしまった。オオモノヌシは、スサノヲの娘婿である。被支配者は、支配者に滅ぼされたがゆえに、支配者を恨む魔物になると支配者たちは恐れた。その魔が去ることを願って、神猿(まさる)信仰が生まれた。石蓋の封印記号も、さだめしその中に魔物を閉じ込め、邪馬台国から「魔去る」ことを願った結果なのだろう。
邪馬台国の人々は、248年9月5日の日食の後、死を意味する日没の方向に《男王=スサノヲ》の墓を作り、誕生を意味する日出の方向に《日巫女=日御子=アマテラス》復活の神社を作ったという構図で今回発見された墓を位置付けたい。その構図は、ヤマト政権が畿内に東遷した後も維持された。東遷後のヤマト政権は、畿内から見て太陽が昇る方向にアマテラスを祀る伊勢神社を建立し、太陽が沈む方向に自分たちが滅ぼした出雲王国の怨霊を鎮めるための出雲大社を建造した。出雲大社は、オオモノヌシ(オオクニヌシ)を祀っている。卑弥呼の弟は出雲と、したがって、スサノヲはオオクニヌシと本来関係を持たない。しかし死を象徴する方向において同じ位置を占めることから、神話において後に関連付けられるようになったと考えられる。